働く障害者

児童労働から抜け出した今、私はほかの人たちを助けることが出来ます

 2018年は9月23~30日に当たる国際ろう者週間を前に、ILOの支援によって児童労働と差別から抜け出し、米国で教師としてのキャリアを築くのに成功したザンビアのある聴覚障害を有する男性の物語をご紹介します。

フランシス・フィリさん

 9月の最終週は国際ろう者週間ですが、2018年は9月23~30日に当たります。これに前に、児童労働から脱して教師としてのキャリアを築くことに成功したあるろう者の物語がザンビアから届きました。

 ザンビアの首都ルサカの最貧困地区で生まれたフランシス・フィリさんは12歳の時にマラリアにかかり、治療時の合併症から次第に聴力を失い、ついには全く聞こえなくなってしまいました。フランシスさんを含む5人の子供たちを苦労して育て上げていた両親が15歳の時に亡くなり、児童労働への道を踏み出すことになりました。

 フランシスさんはザンビア東部州のニンバにある農場で暮らす叔母の元に送られました。当時から勉強が大好きだったものの、第10学年在学中に叔母も亡くなり、叔父に農場で働かされました。時には朝5時から午後4時頃まで1日中働きました。暑さにもかかわらず、外で働いていた間は食事は全くとれませんでした。その上、障害者ゆえの差別も受けました。「耳が聞こえない私が学び、人生で成功を収めることができるとは誰も考えませんでした。他の子どもたちとは扱いが異なり、いとこが学校に通っている間、不公平な量の仕事を家で与えられました」とフランシスさんは回想します。その後、兄や姉の死にも直面し、「聴覚に加えて家族も失い、人生における機会が急速に狭まっていくのを感じました」。

 しかし、フランシスさんは教育を受けて前に進む決意を曲げませんでした。2006年6月にザンビア手話通訳協会(ASLIZ)で開かれた「児童労働に終止符を」キャンペーンに出かけ、ILOのマリア・テレザ・ミリラ職員に出会いました。学費が工面できなかったフランシスさんは、事情を話して高校の残りの2年間の学費を出してくれないかとILOに頼みました。直ちにILOから支給された丸々2年間の奨学金はムナリにあるろう学校に復学する助けになりました。

 1年後、フランシスさんの人生に二度目の転機が訪れました。平和部隊のボランティアとして働いていた同じく聴覚障害を有するアメリカ人教師のフランク・レスターさんとの出会いです。レスター氏はフランシスさんをアメリカに連れ帰って教育の面倒を見ることに決めました。最初にカリフォルニア州フレモント市のオーローン・カレッジでろう者教育の学位を取得した後、ニューヨークのロチェスター工科大学の国立ろう工科大学で2番目の学位を取得したフランシスさんは、卒業後はカリフォルニア州に戻り、高校でアメリカ手話を教え始めました。今は米国の永住権も取得し、結婚してサンフランシスコで暮らしています。

ルサカにあるILOの事務所を訪れたフランシス・フィリさん

 30歳になった今、自らのルーツを忘れたわけではないフランシスさんは、最近ザンビアに戻り、ルサカにあるILOザンビア・マラウイ・モザンビーク国別事務所を訪れました。他の誰の助けも得られなかった時にILOから差し伸べられた支援の手を振り返り、フランシスさんは、「ILOは私が残りの人生を農場で働いて過ごすことから助けてくれました。あの状況から抜け出せなかったら、多分今いる場所にはたどり着けなかったことでしょう」と語っています。ザンビア社会が児童労働に終止符を打つこと、とりわけ難聴やろう、あるいは他の何らかの障害があり、毎日非常に弱い状況にさらされている子どもたちを助けたいと心から考えるフランシスさんは、聴覚障害があるザンビアの子どもたちを助ける非政府組織(NGO)を自ら設立し、他の複数の機関と協力して活動を展開しています。

 「他の方々の助けになるのでしたらいつでも喜んで私の経験を披露しますよ。いつかジュネーブのILO本部を訪れて自分の話をして、児童労働、そして障害者差別との戦いに貢献できればと思っています」とフランシスさんは語っています。

ルサカにあるILOの事務所を訪れたフランシス・フィリさん

 「フランシス・フィリさんの物語は、正しい支援が提供されれば子どもたちを学校に留め、障害者を含む人々が自らの人生を構築できるように就労機会を得るのを助けるられることを示す好例です。私たちのメッセージを伝えてくれるとの氏の支援の申し出はとても有り難く、将来的な協力の道を必ずや検討することと致します」と、ILOザンビア・マラウイ・モザンビーク国別事務所のアレクシオ・ムシンド所長は語っています。


 以上は2018年9月21日付のルサカ発英文広報記事の抄訳です。