「100周年を迎えたILOに期待すること」

第2回 川崎二郎ILO活動推進議員連盟会長

慶應義塾大学商学部卒業後、松下電器産業株式会社に入社。1980年衆議院選挙で初当選、以来12回当選。運輸大臣、北海道開発庁長官などを経て、2005年、厚生労働大臣に就任。さらに自民党財務委員長なども歴任し、ILO活動推進議員連盟をはじめ10以上の議員連盟の会長としても活躍中。   *インタビューは、ILO活動推進議員連盟設立30周年記念事業として実施された海外視察調査でベトナムを訪問した2018年9月、ILOのハノイ事務所で行われました。

ILOと関わりを持ったきっかけを教えてください。


 私は2005年に厚生労働大臣に就任しました。当時は、医療制度改革のもと、高齢者医療制度を作り上げた頃で、年金や医療、福祉関係の話が多かった時代です。ですが、労働大臣も兼任ですので、厚生労働省として、社会保障のみならず労働関係もしっかり取り組んでいかないとバランスを欠いたことになると、役所に対して指摘をしたことがあります。そんな中、ちょうどドイツで開催された労働大臣会合に参加する機会を得ました。そこで、ディーセント・ワークについて「広く世の中に徹底していくために、ILOが最も大きな課題として取り組んでいることです」と教えられました。以来、どこに行ってもディーセント・ワークという言葉を使っています。

ILOの活動は今日の世界にとってどのように重要だと思いますか?


 日本では働き方改革が大事な時代になりました。私が2005年の厚生労働大臣時代に言った話が、約10年経って、日本にとっても、一人一人の働き方が重要な時代に変わったと言われるようになったのです。今、私はベトナムのILOの事務所にいますが、ベトナムにおいても、やはりILOの精神を大事にしながら国の労働法制を変えていかなければならない、と言う話を聞いたばかりです。これからカンボジアに行きますが、おそらく同じ話が出てくることでしょう。それぞれの労働法制を見直しながら、ヨーロッパの人たちが当たり前に感じていることを、アジアでも、アフリカでも行っていかなければならないと思っています。その意味では、まだまだアジアの国は遅れている、追いつかなければいけないという思いです。

どんな仕事の世界が理想だと思いますか?


 日本は第一次産業である農業をやる時代には、自分で時間を管理し、暑ければ朝早くから働いて、昼間は寝て、また夕方働くと自分で決めていました。それが、農業から第二次産業にシフトしてきて、人に時間を管理してもらう時代に変わりました。工場で、また職場で、社長さんや上司たちが時間を管理する時代です。ですが現在は、自ら自分の仕事を管理しながら、どういう時間配分でやっていくか考えなければいけない時代になってきています。自分の生活と労働のバランスがとれた社会にしていく、それは一人一人がその思いを持って進んでいくことが大切ですが、ちょっと上からの圧力が強すぎるようにも感じます。少し上からの圧力を変えていくことが、政治家としての課題のひとつだと思います。