ILO Newsletter「ビジネスと人権」
福島第一原子力発電所紀行 高﨑真一
※この寄稿で述べられた見解や意見は筆者のものであり、ILOの意見や立場を反映するものではありません。
はじめに 私は、2022年12月8日から9日まで、一般財団法人日本原子力文化財団の招待で、他の6人のメンバーとともにJヴィレッジと福島第一原子力発電所(F1)を訪問したが、私にとっては2011年以来11年ぶりの訪問であった。
2011年3月11日の東日本大震災及びその後のF1事故当時、私は厚生労働省で原発作業員の放射線被ばく管理を担当していたため、その後数か月にわたりF1事故に24時間体制で対応した。そのこともあって、F1作業員の放射線被ばく管理の現状をこの目で確かめるべく視察に参加した。
なお、今回の視察は、厚生労働省からの委託を受けて同財団が実施する「原発作業員等に係る放射線関連情報の国際発信の強化事業」の一環として行われたものである。
Jヴィレッジでは、F1視察の準備として、産業医科大学の欅田尚樹教授から「東京電力ホールディングスの福島第一原子力発電所および放射線被ばく線量の低減への取り組み」、東京医療保健大学の明石眞言教授から「UNSCEAR2020/2021年福島報告書について」の講義を、それぞれ受けた。
その中で、緊急作業員への健康上の影響に関するUNSCEAR報告書の「①線量による非がん疾病については、確定的影響は観察されず、全体的に、将来的にもないことを予想、②100mSv以上の実効線量を被ばくした作業員174人ついて、白血病または他のがんの将来の識別可能な過剰はないと推定、③100mGyを超える甲状腺線量を被ばくした作業員1757人について、甲状腺がんの将来の識別可能な過剰はないと推定、④甲状腺線量が100mGyを超える627人の作業員とより低線量の群を比較して、甲状腺疾患の有病率は同様である」という説明を受けた際、私は心中、違和感が沸き上がるのを禁じ得なかった。
事故直後、緊急作業員の放射線被ばく限度を50mSvから特例的に250mSvに引き上げた際に厚労省が受けた批判、作業ミスで250mSvを超える被ばくを受けた作業員が出た際の東電に対する大バッシングは、一体何だったのか。さらに言えば、当時、被ばくを恐れ、幼い子供を抱えた多くの母親が着の身着のままで西日本に避難したが、あの騒動は一体何だったのか。
私は明石教授に、「F1事故直後の放射線被ばくに関するパニック状況とUNSCEAR報告書の内容にはギャップがあると言わざるを得ない。厚労省も含めた政府、さらには専門家が、国民に対してもう少し冷静な説明をすることができていたら、あのような混乱は回避あるいは緩和できたのではないか。コミュニケーションに問題があったのではないか」と質問した。明石教授は、「専門家が十分に説明できたかについては、反省はある。ギャップは今も続いている」と率直に答えられた。
F1とその近接地域を除いて、既に立ち入り制限は解除されているが、周辺地域に帰還した住民は一割足らずだそうだ。確かに車窓からみえるのは、瓦礫こそないが、津波に流されて更地になった宅地や流されずに残ったビルの廃屋、泥をかぶったままの田んぼの跡地ばかりで、人気が全くない。復興にはほど遠い状態だ。
検問所を通過してF1の敷地内に入る。きれいさっぱり撤去された瓦礫の代わりに目に飛び込んでくるのは、おびただしい数の巨大貯水タンクである。放射能汚染水の最終処理が行われていないので、汚染水はF1内に貯まるばかりだが、許容量の限界が近いと聞く。重く大きな課題である。
F1のビジタールームで東電による原子炉1~4号機の状況についての説明等を受けた後、厳重な入退域管理棟を抜けて大型休憩所に移動する。入退域管理棟は、事故直後のJヴィレッジさながらに、作業員の出退管理、被ばく線量管理の拠点となっている。Jヴィレッジでかつて見た風景が脳裏によみがえった。大型休憩所では、屋内線量の測定の様子や放射線量情報ディスプレイの操作方法、食堂を見学した。食堂にローソンが併設されているのには驚かされた。隔世の感である。
ただ、目前には放射能汚染水の最終処理問題が控えており、その先には最難関の燃料デブリの処理問題が待ち構えている。政府を含めた関係者の更なるご努力をお願いしたい。
過去を悔やむだけでは何も生まれない。比較的冷静な議論ができる時期にこそ、政府や専門家は放射被ばくに関する正確な情報を国民に説明し、理解を求め、来て欲しくはないが将来似たような事態に陥った際に、国民がパニックになることなく、冷静に対処できるようにすべきではないだろうか。
私としては、F1廃炉作業に従事する作業員の放射線被ばくの問題について、今後ともライフワークの一つとしてフォローしていくつもりである。
なお、本稿はあくまで私個人の見解を述べるもので、ILOとしての公式見解ではないことに留意いただきたい。
(ILO駐日代表 高﨑真一)
はじめに 私は、2022年12月8日から9日まで、一般財団法人日本原子力文化財団の招待で、他の6人のメンバーとともにJヴィレッジと福島第一原子力発電所(F1)を訪問したが、私にとっては2011年以来11年ぶりの訪問であった。
2011年3月11日の東日本大震災及びその後のF1事故当時、私は厚生労働省で原発作業員の放射線被ばく管理を担当していたため、その後数か月にわたりF1事故に24時間体制で対応した。そのこともあって、F1作業員の放射線被ばく管理の現状をこの目で確かめるべく視察に参加した。
なお、今回の視察は、厚生労働省からの委託を受けて同財団が実施する「原発作業員等に係る放射線関連情報の国際発信の強化事業」の一環として行われたものである。
Jヴィレッジ
8日はJヴィレッジを訪問した。F1事故当初、半径20キロ圏内は立ち入りが制限されたが、Jヴィレッジはちょうど半径20キロライン上に位置していたため、F1事故対応の前線基地となった。緊急作業員は、Jヴィレッジで完全防護服に着替えて、設置されたゲートで被ばく線量を管理されて、バスでF1に運ばれた。当時は雑多な物資が山積みされ、喧騒の中、タイベックスに身を包んだ無数の作業員が行き交うJヴィレッジであったが、今回の訪問では、静謐の中にひっそりと佇んでいて、聞こえるのは練習中のサッカーの声だけであった。Jヴィレッジでは、F1視察の準備として、産業医科大学の欅田尚樹教授から「東京電力ホールディングスの福島第一原子力発電所および放射線被ばく線量の低減への取り組み」、東京医療保健大学の明石眞言教授から「UNSCEAR2020/2021年福島報告書について」の講義を、それぞれ受けた。
その中で、緊急作業員への健康上の影響に関するUNSCEAR報告書の「①線量による非がん疾病については、確定的影響は観察されず、全体的に、将来的にもないことを予想、②100mSv以上の実効線量を被ばくした作業員174人ついて、白血病または他のがんの将来の識別可能な過剰はないと推定、③100mGyを超える甲状腺線量を被ばくした作業員1757人について、甲状腺がんの将来の識別可能な過剰はないと推定、④甲状腺線量が100mGyを超える627人の作業員とより低線量の群を比較して、甲状腺疾患の有病率は同様である」という説明を受けた際、私は心中、違和感が沸き上がるのを禁じ得なかった。
事故直後、緊急作業員の放射線被ばく限度を50mSvから特例的に250mSvに引き上げた際に厚労省が受けた批判、作業ミスで250mSvを超える被ばくを受けた作業員が出た際の東電に対する大バッシングは、一体何だったのか。さらに言えば、当時、被ばくを恐れ、幼い子供を抱えた多くの母親が着の身着のままで西日本に避難したが、あの騒動は一体何だったのか。
私は明石教授に、「F1事故直後の放射線被ばくに関するパニック状況とUNSCEAR報告書の内容にはギャップがあると言わざるを得ない。厚労省も含めた政府、さらには専門家が、国民に対してもう少し冷静な説明をすることができていたら、あのような混乱は回避あるいは緩和できたのではないか。コミュニケーションに問題があったのではないか」と質問した。明石教授は、「専門家が十分に説明できたかについては、反省はある。ギャップは今も続いている」と率直に答えられた。
F1に入る
8日はJヴィレッジに宿泊し、翌9日はいよいよバスでF1に向かった。事故当時の作業員と違うのは、タイベックスではなく平服に身を包んでいたことである。F1とその近接地域を除いて、既に立ち入り制限は解除されているが、周辺地域に帰還した住民は一割足らずだそうだ。確かに車窓からみえるのは、瓦礫こそないが、津波に流されて更地になった宅地や流されずに残ったビルの廃屋、泥をかぶったままの田んぼの跡地ばかりで、人気が全くない。復興にはほど遠い状態だ。
検問所を通過してF1の敷地内に入る。きれいさっぱり撤去された瓦礫の代わりに目に飛び込んでくるのは、おびただしい数の巨大貯水タンクである。放射能汚染水の最終処理が行われていないので、汚染水はF1内に貯まるばかりだが、許容量の限界が近いと聞く。重く大きな課題である。
F1のビジタールームで東電による原子炉1~4号機の状況についての説明等を受けた後、厳重な入退域管理棟を抜けて大型休憩所に移動する。入退域管理棟は、事故直後のJヴィレッジさながらに、作業員の出退管理、被ばく線量管理の拠点となっている。Jヴィレッジでかつて見た風景が脳裏によみがえった。大型休憩所では、屋内線量の測定の様子や放射線量情報ディスプレイの操作方法、食堂を見学した。食堂にローソンが併設されているのには驚かされた。隔世の感である。
1~4号機対面
いよいよ視察のクライマックス、原子炉とのご対面である。事故直後は線量が高すぎて原子炉には近づけなかったので、私にとっても初対面である。入退域管理棟で線量計が配布され、一般作業服に着替えた後、バスで1~4号機を見下ろす高台に移動する。バスから降りるやいなや目に飛び込んできたのは、無残な姿を今にとどめる1号機だった。直線にして100mも離れていない。廃炉作業は、取り出すべき燃料体の数や作業性を考慮して進められているので、今でも被ばく線量が高い1号機は作業が一番遅れており、屋上の瓦礫も事故当時のままである。 それに比べて、2~4号機にはカバーがかけられていて、廃炉作業が進んでいることが見て取れる。その後退去まで
その後、海洋放水口の建設現場や5/6号機を見学した後、入退域管理棟で身体サーベイを受け、線量計で被ばく線量を確認し、最後に救急医療センターを見学してF1を後にした。おわりに
今回の視察を通して、現在、F1廃炉作業に従事する作業員の放射線被ばく線量管理が整然と、システマティックに、かつ確実に実施されていることが確認できた。東電と協力企業、さらには作業を監督する福島労働局と富岡労働基準監督署のご尽力に敬意を表したい。ただ、目前には放射能汚染水の最終処理問題が控えており、その先には最難関の燃料デブリの処理問題が待ち構えている。政府を含めた関係者の更なるご努力をお願いしたい。
過去を悔やむだけでは何も生まれない。比較的冷静な議論ができる時期にこそ、政府や専門家は放射被ばくに関する正確な情報を国民に説明し、理解を求め、来て欲しくはないが将来似たような事態に陥った際に、国民がパニックになることなく、冷静に対処できるようにすべきではないだろうか。
私としては、F1廃炉作業に従事する作業員の放射線被ばくの問題について、今後ともライフワークの一つとしてフォローしていくつもりである。
なお、本稿はあくまで私個人の見解を述べるもので、ILOとしての公式見解ではないことに留意いただきたい。
(ILO駐日代表 高﨑真一)