活躍する日本人職員 第1回 荒井由希子

荒井 由希子

国際労働機関(ILO)ジュネーブ本部
多国籍企業局 シニア・スペシャリスト
© Photo: UNIC Tokyo
略歴

東京都出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1996年、ジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)入学、メキシコ教育省研究員や、米州開発銀行にてリサーチアシスタントとして勤務し卒業(国際経済修士号取得、ラテンアメリカ地域研究副専攻)。
1998年、世界銀行ラテンアメリカ・カリブ海地域局人間開発部教育セクターに入行し、中南米の大規模教育融資プロジェクト・調査に携わる。2001年、国際労働機関(ILO)にヤングプロフェショナルとして入り、ジュネーブ本部児童労働撲滅国際計画部に配属。2002年には、ILOアジア太平洋総局バンコク事務所に異動、貧困削減及び児童労働の専門家として配属され、2003年に同局付、貧困削減アナリストに。2006年、ILOジュネーブ本部、多国籍企業局へ異動。以来、シニア・スペシャリストとして、グローバルサプライチェーンにおける労働問題、CSRに携わる。グローバル企業の進出先にあたる途上国での活動をリード・統括。多国籍企業問題を扱うILO専門家ネットワークのコーディネーターも務める。


ILO本部によるオンライン広報誌でのインタビュー記事を抜粋しています。
 

多国籍企業局 シニア・スペシャリストとしてILOジュネーブ本部に勤務する荒井由希子さんは、2013年、ILOの無償休暇制度を利用し、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員として活躍されました。現在はILO本部に復職していますが、ILOに入局したきっかけや、招致活動に携わった経験についてお話をお聞きします。


© Photo: Tokyo2020/Shugo Takemi


2001年にILOでの仕事をスタートされた時は、児童労働を専門にされていましたが、それはどのような経緯からですか?
 


1994年、私はペルーの首都リマ郊外のスラムにある小学校の開校式に出席しました。そこで私が目にしたのは、水も電気もない貧しい村に初めて学校が出来て、目を輝かせている子どもたちの嬉しそうな表情でした。そのとき以来、子どもたちが、働くことなく学校に行くことが出来る社会を構築することに貢献したい、というのが私のパッション(情熱)となり、人生のミッション(使命)となりました。

この時の決心が、これまでの全てのキャリア選択のクライテリアになっています。児童労働の問題に深く携わるほど、問題の複雑さをより認識し、この問題に対して様々な角度から、より広い視野で取組みたいと思うようになりました。現在は、多国籍企業局で、グローバル企業との連携を通じて、その進出先である途上国でのディーセント・ワーク(働きがいのある、人間らしい仕事)の創出を目指しています。これには、児童労働撲滅も含まれます。


2013年に、ILOの無償休暇制度を利用して、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員として活躍されましたが、このことはILOと児童労働の仕事とは大きく離れたものでしたか?
 


多くの同僚は驚いたようですが、ILOとオリンピックは全くかけ離れたものではなく、私の招致参戦への決心には強い動機がありました。

日本はバブル崩壊後20年近く経済不況に陥り、また2011年には、東日本大震災と大津波を経験しました。東京でオリンピック・パラリンピック開催を実現することは、約3兆円の経済効果、及び15万人の直接雇用の創出に繋がるばかりでなく、日本に希望と幸福感をもたらすことで国民も元気になる、など様々なプラスな効果が期待できます。これらは私が招致委員としての活動に参加するに十分に足りる理由ですが、参戦を決めた主な理由ではありませんでした。

今もなお、多くの開発途上国で、1億6800万人もの子どもが学校に通うことなく働いています。東京がオリンピック・パラリンピック招致に成功すると、東京2020の中核にある「スポーツ・フォー・トゥモロー」プログラムを通じて、向こう6年間で、100カ国以上の途上国に住む1000万人以上の子どもたちに「スポーツの力」、学ぶ機会、生きる力、そして幸せを届けることができる、という思いがありました。このような、若者たちが夢をみて達成していく力強い想いが未来を変えていくと信じています。児童労働撲滅に関する理解と取組みも更に加速されるでしょう。

つまり、東京2020の目指す理念と、先ほどお話しした自分のミッション、パッションがクロスした事が招致活動に参戦した理由であると共に、半年ほど積極的に活動し続ける私の原動力にもなったと言えます。

また、パラリンピックを開催することにより、東京にユニバーサルデザインが適応されることでインフラが整備されるのみならず、障害を持つ方々に対する理解についても再考する良い機会になると考えます。あらゆる意味でバリアフリーな社会の構築を通じて、社会の中でしばしば疎外されてきた人々に勇気と元気をもたらすことにも繋がる事を心から願っています。


東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会での役割は、どのようなものだったのですか?
 



国際部ディレクターとして、国際プロモーション活動に携わりました。主な活動は、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の開催計画と、開催地となる大都市・東京の魅力、そして招致に向けた日本の情熱を、国際オリンピック委員会(IOC)の委員と世界のスポーツコミュニティーに示す事にありました。ロビー活動の他、ローザンヌ、ブエノスアイレスではプレゼンター、及び質疑応答の進行役として登壇しました。政府、東京都、民間企業、スポーツ界、国会議員の先生方、そして在外公館、とオールジャパン体制で取り組んだ招致ですが、各界のトップリーダーの方々と一緒に活動できたことは、大変刺激的であり、幅広いネットワークを築くこともでき、非常に学びの多い貴重な経験となりました。


© Photo: IOC


東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会での仕事は、ILO、国連の仕事と比べ、 どのように違いましたか?

 

ILOでは国際公務員として、青い国連旗のもと中立的な立場で仕事をしています。そのため、チーム・ジャパンの一員として、日本の旗と招致バッジを胸につけて仕事をすることは、ILOでの仕事とは異なる経験でした。また、日本人として仕事をするのは初めてでしたので、非常にエクサイティングでした。

ILOのディーセント・ワーク・アジェンダと、オリンピックムーブメントが目指す世界平和と開発に焦点を当てた取組みには、多くの類似点があります。5月にニューヨーク国連本部で開催された開発と平和のためのスポーツ国際会議に出席した際に、「若者のエンパワーメント」、「スキルの重要性」、「ディーセント・ワーク」・・・など多くの聞きなれた言葉を耳にしました。オリンピックムーブメントと国連やILOは、最終的には同じグローバルな目標に向かって活動していることを、これまで以上に確信する機会となりました。


日本は、そのような目標の達成に向けて役割を果たすことができると思いますか?

 

もちろんです!東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員として活動してきて、世界の平和と、持続可能な開発を推進していく上で日本が果たしうる役割が非常に明確になりました。日本が2020年大会を主催し、先ほどお話ししたスポーツ・フォー・トゥモロー・プログラムを通じて世界中の次世代の若者たちに機会を与えることは、未来に素晴らしい世界遺産(レガシー)を残すことに繋がると信じています。これは私がロビー活動を通じて、IOC委員の皆様にお伝えしてきた主要なメッセージの一つでもあります。

また、2020年東京五輪は、日本国内のみならず、世界中で作られた製品・サービスにより支えられます。そのグローバルサプライチェーンの環境・社会的側面にも配慮することは、日本が世界の持続的開発に貢献しうる新たな機会を与えるでしょう。2020年東京五輪が、オリンピックに関わるすべての労働者の基本的権利を保護し、児童労働にはレッドカードを出せるような、「フェアプレイ」なグローバル化の促進に寄与できる大会になるよう切望しています。

招致活動も無事成功裏に終わり、本業に復帰した今、多国籍企業問題を扱うILOの専門家ネットワークのグローバル・コーディネーターも務めることになりました。今後は、東京2020に携わった経験を活かしながら、世界中に勤務する80名ほどの同僚たちと「チーム・ILO」一丸になって、グローバル企業との連携を図る中で、より良い世界の構築、 特に、途上国でのディーセント・ワークの促進を通じた持続的開発に貢献したいと考えています。