労働政策研究・研修機構所長 濱口桂一郎氏に聞く

「仕事の未来」インタビューシリーズ第1回


濱口桂一郎 氏

5月12日の労働政策フォーラム 「The Future of Work - 仕事の未来」で「日本的柔軟性からデジタル柔軟性へ」と題する基調報告を行った濱口桂一郎労働政策研究・研修機構所長にお話を伺う。濱口所長は、非正規労働者や中高年、さらに働く女性について、豊富な知識と国際比較の視点からオリジナルな労働政策論を提供している労働問題の専門家。おもな著書:「新しい労働社会-雇用システムの再構築へ」(岩波新書、2009)「日本の雇用と労働法」(日経文庫、2011)「若者と労働-「入社」の仕組みから解きほぐす」(中公新書ラクレ、2013)「日本の雇用と中高年」(ちくま新書、2014)「働く女子の運命」(文春新書、2015)

  日本的柔軟性からデジタル柔軟性へ 働く人の声にもとづいたルール作りを

―濱口さんはその著書で、従来の日本の雇用システムは「就社型」であり職務の定めのない雇用契約である「メンバーシップ型」というコンセプトを打ち出されました。

濱口 特定の職務に染まっていないまっ白な大卒男子が、いつでもどこでも社員として長時間労働をしていたのがこれまでの日本の典型的な正社員でした。先日のフォーラムではこれを「日本的柔軟性」と呼びましたが、その日本的柔軟性を受け入れた「無限定正社員」になれなかった女性をはじめ、さまざまな制約のある人たちが労働市場からはじき出され、非正規労働者として低処遇で不安定な雇用に入っていかざるを得なかったのが大きな問題でした。しかし仕事・労働の世界で時間的空間的拘束の必要のない「デジタル柔軟性」が浸透すると、これまで働く機会が得られなかった人にもチャンスが与えられ、現在日本で議論されている「働き方改革」で求められているワーク・ライフ・バランスの観点からも大きなメリットがもたらされるのはまちがいありません。ここで重要なのが、いつでもどこでもできるデジタル柔軟性のメリットをつぶさないで、契約上は自営業者としてばらばらに働いているような人たちも含め働く人たちの声を集約してルール作りをしていくことです。根本的に柔軟性というのは、それを「享受する」という側面と、少し強い言い方をすると「搾取される」という両方の動詞を伴う概念であることを常に考えてルール作りをしていかなければなりません。そのバランスを取るのがとても難しい。ヨーロッパではテレワークについて協約が結ばれていますが、これは雇用を前提としたテレワークなのでルール作りが比較的容易です。雇用型はもちろん非雇用型も含め、デジタル柔軟性が労働者にとってメリットのあるものにしていくためのルール設定が、世界全体の共通課題だと思います。

  デジタル時代のあたらしい集団的労使関係

―もう少し具体的に説明していただけますか。

濱口 現在の労働基準法改正の動きは、これまでの日本的な柔軟性をある程度制約しようという方向ですが、それは働く人にとってメリットのある柔軟性を制限する場合もあります。やはりある種の規制の組み換えが必要です。しかもそれはより現場に即した、当事者がきちんと議論し納得したものでなければ意味がない。しかし一人ひとりの労働者の立場は弱いものです。呼びかたはどうあれ、ある種の集団的な関係というものがルール作りの交渉には必要で、それが存在しない場合は積極的に作っていく必要があります。フリーランスで働く人たちは形式上は事業者となるため、経済法、競争法上の団結禁止という原則にひっかかってきます。フリーランスの事業者が集まって談合しある金額以下では受注しないというのはけしからん、ということになります。労働法の世界で有名なアメリカのサミュエル・ゴンパースが主張しILO憲章にも取り入れられている「労働は商品ではない」という原則は、労働者はまさに労働を売って対価を得ているが、それは普通の商人とはまったく異なるもので労働条件を集団で交渉するのは談合ではない、ということを言っているのです。労働者であれ事業者であれ談合はけしからんという100年前の欧米の世界で、労働者は別だとして集団的労使関係法が作られました。しかしいまの法制度のもとでは、労働者は団結してもよいが、もっと言えば談合してもよいけれど、自営業者は労働者ではないのでダメだとされ、結果として労働者と連続性があるようなフリーランスの自営業者の人たちには、200年前のイギリスの団結禁止法と同様の規制が課せられてしまう。労働者であるか自営業者であるかの線引きが非常にあいまいになっているデジタル時代のいま、はたしてそれで本当にいいのか、ということが問われています。労働の世界だけでなく、労働法と競争法、経済法をまたぐ法制度のあり方を議論する必要が出ていると思います。日本ではまだそれほど大きな問題になっていませんが、欧米ではすでに裁判となっているケースもあり、きちんとした議論が必要な世界共通の課題だと思います。そうでないと問題が発生したら自分たちは労働者だといって訴えるしか解決策がない、労働者性を問題にするしかない。けれどもそれは結局、自営という形で得られる柔軟性を削る方向での解決策なのです。本当にそれでよいのか。今までのきれいに雇用と自営が分かれていたことを前提とした制度設計自体も、見直していかないといけないだろうと思います。

―クリエイティブな仕事をしているフリーランスの個人事業主は、昼夜をとわず作業をして成果物を提出するような働き方を日常的にしていますが、自分たちを労働者とは思っていない。

濱口 いままでは会社にしばられずにクリエイティブな仕事を自由にしているのだ、という主観的なメンタルなメリットと、自営業という何のルールもない中で仕事を請け負うというデメリットとの釣り合いが取れている場合が多かったのかもしれません。しかし、そうではない瞬間が広がっていくと、Uberドライバーの権利保護や労働条件の改善をめぐる争いのような問題が一斉に噴き出してくる。こうした問題を解決するには、やはり集団的な枠組みでルールを作っていくのが一番よいやり方だと思います。そのような集団的関係をどのように構築していくのかをまずは考えていく必要があります。いまの低い組合組織率からもわかるように、雇用の世界ですら放っておくとなかなか団結してくれない。それでいろいろ個別紛争がおきています。自営業はそれに輪をかけてばらばらなので、なにかシステムを作る必要があります。自発的なものだけではない、集団的な労使関係の形成・構築政策が必要になってくるという予感があります。

―フォーラムでは、中小企業協同組合法についても言及されていました。ILOは協同組合の役割を重視していますが、プラットフォーム経済のような分野で協同組合はいかなる役割を果たせるのでしょうか。

濱口 歴史的にいえば労働組合運動と協同組合の流れは絡み合いながら発展してきましたが、日本の労働業界にいる人たちにとって、協同組合は別の世界の話だという意識が強いのではないでしょうか。協同組合は労働者性を失わせる危険があるのではないか、出資者であり経営者であり労働者である、というのはどういうことなのか、本当に大丈夫なのか、と懸念する人もいます。また日本では、会社という組織そのものが共同体的な性格をもっていて、欧米に比べると協同組合の社会的存在意義があまり高くなかったかもしれません。しかしシェアリング・エコノミーやプラットフォーム・エコノミーといったデジタル時代の新技術によって可能となったあり方には、協同組合の仕組みが適合しているのではないかという議論が行われているように、あたらしい論点として注目されていると思います。


ピアー・クオリフィケーションの時代

―メンバーシップ型からジョブ(職務)型に働き方が変わると、これまでの企業内訓練ではなく、もっと公的な職業訓練の必要性が増すのでしょうか。

濱口 働き方改革でも日本再興戦略でも、能力の見える化とか専門職大学の設立とかその手の議論はこれまでも、ITとかAI以前も含めてたくさん行われ積み重なっています。問題は議論をしている割には実態が伴っていないということです。日本的なしくみで批判されているものに「メンバーシップ型雇用を中心とした硬直的な雇用形態」がありますが、たしかに外できっちり勉強して資格を得た人がなかなか企業に入ることができない。しかし社内では社員は非常に柔軟に対応していて、厳格なクオリフィケーションを一切求められることなく、「こいつはできる」とまわりに評価された社員はどんどんいろんな仕事や事業に携わることができました。もしかしたらこれからのデジタル時代はこの傾向がもっと進むかもしれません。あたらしい知識やスキルを身につける手段が多様化し、いつでもどこても学べるようになりプロフェッショナルになりやすくなる。そしてネット上で「こいつはこれができる」という評判があっという間に世界中に広まり、公的な機関の資格制度など不要になるかもしれない。アマゾン メカニカルタークのような、企業の枠をはるかに超えた、いわゆるネットコミュニティーの中で評価されるような、ピアー・クオリフィケーションのようなものができつつあるのかもしれません。そうなった時ルール設定はどうするのか、これからみんなで考えなければならない問題だと思います。公的な技能検定制度をきっちりしましょう、ということでは解決できないと思います。

  ステークホルダー民主主義とILO

―2019年に創立100周年をむかえるILOにとって、政労使三者構成による伝統的な社会対話の正当性が課題となっています。

濱口 伝統的な雇用関係に基づいた労働組合が代表できる働く人たちの割合がどんどん減っています。「三者構成で物事を決めています」といってもそれで決められるのは世の中のある限られた部分でその外側にある世界がどんどん広がっている。伝統的な枠組みに入らない部分を誰がどうリプリゼント(代表)するのか、これは本当に大問題で、歴史上かつてないチャレンジだと思います。ILOの三者構成原則の基盤が労働社会の変化のなかで徐々に崩れていくなかで、利害が対立する人たちの代表を集めて議論してルールを作っていくというような、三者構成をもう一段抽象化したような理念、私はそれを「ステークホルダー民主主義」と言っているのですが、その一つとして、先ほど申し上げた伝統的雇用ではないような人たち、しかし同時に個々ばらばらでは弱い立場にある人たちの利害を代表する枠組みが必要です。いまの三者構成原則を拡大してほかの人たちにも権限を譲り、全体としてある種の利益代表デモクラシーの正当性を維持していくことが大切で、その構成メンバーは少しずつ入れ替わることがあると思いますが、代表制を維持するためには「君たちも入る?」というような寛大さが必要になってくると思います。既存の労働組合のような確立された利益代表組織とまだ存在基盤がはっきりしない団体とどうやって協力していくのか、非常に問題です。いずれにしてもILOの存在根拠、存在基盤にも関わる重要な課題だと思います。

〔2017年6月収録〕