第8代ILO事務局長ミシェル・アンセンヌ(ベルギー・1989~99年)

ミシェル・アンセンヌ第8代ILO事務局長写真

 ミシェル・アンセンヌ氏はリエージュ州立大学の研究職を経て政界に身を投じ、1974年にベルギーの国会議員となりました。その後、フランス文化大臣、雇用・労働大臣、公務大臣といったベルギー政府の大臣職を歴任しました。アンセンヌ氏は大臣を務めつつ、研究を続け、『雇用:可能なシナリオ』と題する書籍を執筆したり、国内外の学術誌に複数の論文を投稿しました。理論と実践を結び付け、失業、雇用、訓練を特に考慮しつつ、労使関係を時代時代の社会と経済の現実に適応させることが重要と氏は考えていました。

 アンセンヌ氏は1989年に冷戦後の時代の初のILO事務局長に選出されました。事務局長在任時代の10年間には特徴的な出来事と展開が複数あり、ILOが扱ってきた問題の抜本的な変化がもたらされました。ベルリンの壁の崩壊と共産主義体制の崩壊、開発モデルと第三世界諸国に対する援助に対する疑問、先進国における完全雇用に対する疑問の表明、グローバル化の開始はILOと事務局がそれまでの活動方法とそれを実行するために用いていた手段の見直しを強いました。1993年に再任されたアンセンヌ事務局長は自らの第一義的な責任はILOが75年間にわたって示してきたあらゆる道徳的権限、専門能力、事務効率を伴ったままでこの機関が21世紀に入っていくのを導くことであると示しました。

 この時期のILOにおける最も重要な議論はグローバル化、貿易自由化、社会条項に関するもので、1998年のILO総会は「労働における基本的な原則及び権利に関するILO宣言」を採択しました。宣言は、すべてのILO加盟国は、この機関の加盟国であるという事実により、中核的ILO条約を批准していない場合においても、基本的な労働者の権利の基礎となっている原則を尊重し、促進し、実現する義務を負うと明言しています。アンセンヌ事務局長は機構の刷新を達成し、社会正義の求めるところにより、ILO宣言が全加盟国によって採用される必要があるという原則が国際的に受容されることに伴う困難をILOがくぐり抜けていくよう懸命な舵取りに専念しました。事務局長はまた、経済発展及び社会開発に関連した主要な国際的な場で十分な役割を演じる手段をILOに与えることを試みました。アンセンヌ事務局長はまた、積極的パートナーシップ政策の下、ILOの活動及び資源・資金をさらなる分権化路線に乗せ、1999年には『グローバル化から防御する安全柵:冷戦後のILO』と題する、急速に変化する時代を通じてILOの舵を取ってきた自らの努力とILOの歴史を記した書籍を発表しました。